皿尾城の遺構
皿尾城は行田忍城より忍保川を挟んで北西方向1kmに位地しています、現在その遺構は主郭址の大雷神社裏手の土塁を一部残して他には存在しません、ただし神社周囲の農業用水路は在城当時掘であったと仮説がありそれら水路を繋ぎあわせると上記イメージ図の様な2つの郭が確認されます、それ以外にも郭は存在していたと思われますが現状の地形からはそれら郭を知る事はできません。
大雷神社裏手の土塁
現状皿尾城の遺構はこの土塁のみとなっています。
主郭
現在の大雷神社が在城当時の主郭であったと云われています。
主郭水郷(農業用水路)
大雷神社周辺の用水路はかつての皿尾城の堀を利用したと仮説があります、あくまで仮説のはんいであり事実は分かりませんが農地整備に際して堀など利用して水路を切り開いた事も大いに考えられます。
主郭東の郭
更に水路、窪地などを繋ぐと右図の様な郭が現れます。
水路に繋がる窪地
(東の郭堀址)
大電神社東方向に神社と平行するかたちで窪地が在り水路に繋がっています、もし水路が過去に城の堀であったとするならこの窪地も又堀の可能性があり主郭東にもう一つの郭の存在をうかがう事ができます。
大雷神社の社人の方の話によれば20年程前まで神社裏手の土塁より更に北方向に向かって数十m土塁が続いたそうです、今現在それを確認する事はできませんが在城当時は主郭から北に向かって郭が連なっていたのでしょう。