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岩殿陣塁の歴史

 1363年(貞治十二年)鎌倉公方足利基氏は観応の擾乱の際に足利直義に組して越後に退ていた上杉憲顕を越後守護職に添えたうえに関東管領に就任させます、それにより鎌倉府体制の中で河越氏と並び中核的立場にあった宇都宮氏が自らの立場を追われるのを恐れ今だ越後守護職にいた芳賀禅可と競合して上杉憲顕の政権復帰を実力で阻止せんと現、毛呂山町と岩殿で足利基氏軍と激しい合戦をしたのです、その時に基氏方の本陣と成ったのが岩殿の陣塁です。一説には岩殿陣塁は比企能員の館であったとも言われ岩殿の合戦以前から存在していたようです、岩殿、毛呂山町(苦林野)の合戦は平一揆、武州白旗一揆の大軍を動員した基氏方の勝利に終わりすぐさま基氏は下野に向かい岩殿陣塁は放棄されました、その後の岩殿陣塁は歴史上の記録には残されていません、
 以上のように岩殿陣塁とは基氏が芳賀禅可、宇都宮との合戦のためだけに利用した砦であったのです。