小倉城の遺構

比企方面へ
武州の城topへ

 比企郡嵐山町と玉川村の境で標高130mの尾根上に築かれたこの小倉城は中世の典型的な山城です、その尾根をぐるりと囲む様に槻川が蛇行して流れ城の東西北の濠と成っています、全体的縄張は山頂の本郭から北へ腰郭、矢倉台址が存在し東に出郭、南にニノ郭が在りそのニノ郭下手には三ノ郭(イメージ図では省略)らしき縄張が在ります、更に小倉城の要所、要所には比企地方最大とも言うべき大規模な石垣がほどこされています。

本郭北腰郭の虎口

 北方より尾根づたいに本郭へ向かうと本郭北腰郭の枡形虎口に差しかかります。

本郭虎口

 北の腰郭を通り抜けて本郭に向かうと堀底道と成った虎口が存在します。

本郭

 四方が土塁で囲まれ北端には何かの建造物土台らしき土盛が残っています。

ニノ郭

 本郭の南、空堀を隔てた一段低い位置に在り更にその南の下手には三ノ郭らしき址が在ります。

出郭

 本郭から大堀切を越えた南に在る郭で比較的面積も広く兵舎、馬屋などが在ったと考えられます。

大堀切

 本郭と出郭は深さ2m程の堀切によって分けられています。(数年前までは2m程でしたが現状だいぶ埋まってしまいました)

石垣址

 出郭南の側面からニノ郭の側面にかけて石積が施されています、総石垣造りの城とまでは言えませんが小倉城のいたるところに石積の址がみられます。

槻川と遠山郷

 嵐山渓谷で知られる都幾川水系槻川は城山の尾根の先端で大きく迂回して城山を囲む様に流れ小倉城の外濠となっていました、また小倉城北西側の眼下の盆地は遠山郷と呼ばれ小倉城の家臣団の集落が点在していました。