高見城の遺構
別名四津山城と呼ばれる高見城は鎌倉街道上道沿いに在り同様に上道沿いに存在する鉢形城から東に大凡7km杉山城から北西へ大凡5kmの地点に位置しています、戦国期に比企郡を縦断する鎌倉街道上道は戦略上重要視され杉山城、高見城、越畑城、高谷砦などがその付近に築城されたのです。
高見城の大まかな縄張は山頂部南東の主郭から北西方向に向かってニノ郭、三ノ郭と続きそれぞれの郭間が堀切で仕切られて主郭とニノ郭の間に小ぶりな繋ぎの郭が存在しています、又山の中腹辺りに犬走り(巡回路)が在り二つの腰郭を通り主郭をぐるりと囲んでいます。
主郭
四津山の山頂部の最南東に位置する郭で現状土塁の址が残っています。遠望に適して高見城の名の由来はここからきているのかも知れません?
主郭からの遠望
犬走り(巡回路)
山の中腹に在り二箇所の腰郭を経由して主郭を囲む様に存在しています。
主郭とニノ郭の間の繋ぎの郭と堀切
この小ぶりな郭は機能的に如何なるものかは分かりませんが矢倉などが存在していた可能性があります。
ニノ郭
三ノ郭
三ノ郭は最北西部に位地しています、この郭には一段高い平坦部が在りますがそれがなんであったのかは不明でいろいろな推測がなされています、例えば兵舎、馬屋など施設が存在したとか杉山城との連絡の為の狼煙台があった、実はこちら側が主郭で二階櫓が建てられていたなどの諸説が幾つかありますが事実は定かではありません。
大手口
大手口は三ノ郭にありました。
伊勢根地区の鎌倉街道
遺構
四津山近くの小川町伊勢根地区には鎌倉街道の遺構が残っています、高見城は街道の押さえとして築城されたのです。