狭山茶の起源、河越茶
狭山茶は全国的に知られる銘茶ですが鎌倉期、室町期の頃、入間の丘陵地帯では狭山茶のはしり、河越茶が生産されていました。
お茶がはじめて日本に入ったのは奈良期、8世紀の頃に遣唐使により持ち込まれたのが最初でした、その後、鎌倉期には抹茶が中国から日本にもたらされ、庶民の間でも飲まれる様に成り、寺社の門前や街道筋の宿場には茶屋、団子屋などの茶店が開かれました。
街道筋の茶屋
15世紀後半の廻國雑記に膝折宿(埼玉県朝霞市膝折町)に市が立ち茶屋があったと記されています。
銘茶、河越茶
鎌倉期後半から室町期にかけて河越庄で茶葉栽培が行われ茶が生産される様になりました、当時の河越茶はその時代に流行した抹茶であったのでしょう、室町期の河越は大和国の室尾、伊賀国の八鳥、伊勢国の河居、駿河国の関、と並ぶ名産地で日本国銘茶五場と呼ばれる産地の一つに数えられていました。
河越茶の改良、狭山茶
戦国期後半、河越で茶の生産は一時衰退しますが江戸期後半に蒸し煎茶製法を取り入れ狭山茶として復活します、狭山茶は主に巨大市場である江戸に出荷される様になり、幕末の開国後には欧州やアメリカなどにも輸出され世界ブランドとなっていったのです。