古都、川越城下

関東、歴史旅行情報

こちらもよろしくお願いします、新しいサイトです、武州の城を超える情報が盛り沢山です。
武州の城topへ
入間方面へ

本宿、大手道

川越城下WMV動画

 戦国末期、川越城の城下町は武蔵の国で最大の町でした、人口は大凡2000人程、家屋約500軒前後で川越城西の大手前を中心に軒を連ねていました、元々川越城下は上戸の河越館門前の町(現、川越市霞ヶ関付近)を太田道真、道灌親子が川越城築城後に移築させたと云われています、現在も川越市中心街には元町、喜多町、小仙波町、宮ノ下、六軒町など当時の地名が残っています。
 (戦国末期の川越城下の資料がみつからなかったので正保年間(1644年〜48年)の古図面を基にイメージしました。)

 本宿(現在の元町)、市役所通りで西大手門の前から石原町へ向かって延びていた川越のメインストリートです。

唐人小路

 大手口前、大手道から南へ延びる路地で商家や蔵などが並んでいました、城へ献上する米はこの地区で検品されたと云われています、江戸期の頃に此の路地一帯は江戸町と呼ばれ小江戸の由来となりました。

 西大手前、唐人小路から大手道を挟んで北側の宮下町付近には家臣団の屋敷郡が軒を連ねていました。

 現在も川越の町には蔵屋敷など歴史的な建築物が建ち並んでいます。

宮下町付近

幸町の蔵屋敷と時の鐘

 童謡とうりゃんせの発祥の地と云われる三芳野天神社です、川越城内の天神郭に在り一般の人も参拝を許されていました、天神郭は本郭東側の並びに位置してそのすぐ東側は城外です、要するに此の郭は川越城の弱点であり、そこへ一般参拝者が立ち入るわけですから退城の際の取調べと口止めは相当厳しかったのでしょう、「いきはよいよい帰りは怖い」意味がわかる様な気がします。

天神郭、三芳野天神社

 現在の小仙波町辺りです、南門前にも家臣の屋敷が集まっていました、また童謡「とうりゃんせ」に出てくる天神様の細道とは此の南門から城内に入り田郭門をくぐって天神郭へと向かう道であったと伝えられています。

南門前

喜多院

 平安初期、830年(天長7年)淳和天皇の天命で慈覚大師より創建されました、1537年(天文6年)の北条氏綱と上杉朝定の川越城攻防戦で炎上して後に再建されています。

 宮下町の西に在り1546年(天文6年)の川越夜戦で両上杉氏と古河公方軍の本陣と成った寺です。

東明寺