本当は山城だった川越城

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さて、唐突に山城だった川越城と言われても想像などつかないと思われます、一度でも川越城ないし川越に来られた方は「そんな山などどこに有るんだ?」とお考えになるでしょう、そうです川越城付近は四方どこを見ても平地です、ではなぜ山城か?新編武蔵風土記稿に次のように記されています。「本城は山により、外郭は池を背にして西南の二面のみ平地なり、兵家にいへる平山城なるものにして、天然要害の地なり、」山城と言い切ってしまうのは多少オーバーかも知れませんが段丘状の地形を利用した平山城であった事は確かです。

風土記稿挿絵

右の挿絵を見る限りでは
現在の254号線側が急
斜面と成り、西武線本川
越駅から市役所方面にかけてはなだらかな斜面だったようです。

左の写真は明治44年に撮影されたもので現在の市民球場あたりです、城の東側の帯郭ですが家屋の屋根と比較するとおおよそ20m位の段丘になっていました、現在は平地です、本郭、富士見楼などはここよりさらに高い位置に存在していました。
 又写真中の水田は堀跡で今は国道254号線が通っています。

宅地造成当で過去の面影はほとんど無くなってしまいましたが川越城は確かに平山城ないし丘城だったのです。