川越喜多院
現在、喜多院は山門、客殿、庫裏、書院、慈眼堂、鐘楼門が国指定文化財に成っています。
客殿前の庭園
客殿
東武東上線川越市駅下車徒歩20分
西武新宿線本川越下車徒歩15分
寛永15年の大火で唯一焼失を逃れた建築物です、現在国指定文化財と成っています。
山門
(喜多院慈恵堂)
喜多院は830年(天長7年)享和天皇の命により慈覚大師円仁により無量寿寺の寺名で開山されたのが始まりです、その後1205年(元久2年)の乱で炎上し1296年(永仁4年)伏見天皇の命で関東天台宗の本山として再興されます、更に1537年(天文6年)の北条氏綱と扇谷上杉朝定による川越での合戦で又も炎上し後に建て直されますが1638年(寛永15年)川越大火で山門を残して全て焼失しまいます、三代将軍徳川家光の命で三度目の再建が行われ慈恵堂、多宝塔などが新たに建てられて江戸城から別殿がそのままの状態で移築され客殿、書院、庫裏に成り現在に至っています。
本堂(慈恵堂)から書院に繋がる廊下
江戸城別殿の一部でした、現在拝観者用の入り口と成っています。
庫裏
元々江戸城別殿を移築した為、中に春日局の化粧の間などがそのままの状態で移されています。
書院
徳川家光誕生の間が在ります。