赤塚城の遺構
赤塚城は武蔵野の段丘を利用して築かれた丘城です、城、東西の切り込んだ部分を自然のうね堀として半島状の先端から本郭、ニノ郭、三ノ郭と連なっています、更に城の東側には出郭が在り、半島状の縄張りの下手には東側から西側にかけて涌水池が城を囲む様に存在して水掘りの役割を果たしていました。
涌水池
半島状の縄張りを囲む様に涌水池が存在していました。
城の北側に広がる水田地帯
涌水池の外側、段丘の北の低地には武蔵野特有の湿地帯を利用した水田地帯が広がり、泥田堀と成っていました。
この様に赤塚城は如何なる理由かは詳らかではないのですが必要に北側の守りを固めて築城されたのです。
出丸(推定)
江戸名所図会に「迂城、本城と覚しき所は殊に今も城濠の形ありて」と記されています。
段丘上部、本郭空堀
丘状先端の本郭を囲む形で空堀が掘られていました、段丘を登り詰めた所に存在する空堀はダメ押しの守りとも言えるでしょう、通常掘とは城塞の下手に築くもので日本は元より中国、西洋に至り珍しい築城方法です。