石神井城の遺構

武蔵南部へ
武州の城topへ

 武蔵七党の秩父党豊島氏の本拠地である石神井城は石神井川と三法寺池を南北の壕として石神井の侵食した台地に築かれた要害です。現在、石神井公園内の主郭と思われる場所の土塁、空堀のみ残され城全体の縄張りは不明です。また公園付近の道場寺は豊島氏の菩提寺である事からその辺り一帯も城の一角であったと推定されています。

石神井川

 石神井川を大手南端の壕としている。

城内に存在した道場寺

 石神井公園周辺には豊島氏菩提寺の道場寺と三法寺の他に豊島氏関係の寺社が点在しています、豊島氏保護の下で石神井城とその付近は一つの宗教文化圏と成っていました。

道場寺山門

主郭(推定)

主郭(推定)土塁、空堀

 現況、唯一残された石神井城の遺構です。

 三法寺池

 三法寺池は石神井城の北側の壕で太田道灌に攻められ落城した際に城主豊島秦経が馬に財宝を括り付け、この池に入水して自害した伝説が残っていますがこれはあくまで伝説です。

 石神井城は南北400m程の広さで落城当時の15世紀後半としては比較的大規模な城郭でした、築城当時は方形の館であったのを鎌倉後期から室町期に掛けての戦乱の時代を経て、徐々にその縄張りを広げていったと考えられます。