御岳山
御岳山は青梅市と奥多摩町の境に位置する標高930mの山で山岳信仰で知られています、山頂部に御岳神社が在りその開山は鎌倉期に奥州討伐で功があった畠山重忠が武州杣保拝領しこの地に城を築いた頃とされていますがさだかではありません、大凡鎌倉中期には御岳神社は存在していたらしいのですが神社初期の歴史について詳細は不明です、その御岳山ですが山頂部の本殿を中心に北、西、東南方向へ尾根を延ばしてそれぞれに要害の址を残しています、1416年(応永23年)上杉禅秀の乱において関東管領上杉憲基が此処に陣を張り社中の者達に軍役を命じたのです、この時から社人達は武装し軍役を勤める武士と成ったのでした。
神社山門
御岳山頂に向かうケーブルカー
本殿の在る山頂部から延びる尾根には郭、竪堀、空堀などの要害の址を残しています、禅秀の乱以後御岳神社は在地領主三田氏の保護を受け更に三田氏滅亡後は小田原北条氏の配下として甲斐武田氏の侵攻を防ぐ砦の役割を果たしていたのです、標高900mの神社と要害それはまさに天空の要塞神殿であったのです。
長尾平
本殿の山頂部から南東へ延びる支尾根で平坦地と成っています、(武蔵野歴史地理)によればその昔此処に堀切が在ったとされています。
北に延びる尾根上の砦
本殿から北へ延びる尾根上をゴンドラ乗り場へ向かう途中に独立した砦の址が存在します、正面北側に堀切が在り後方は腰郭でかためた大凡10人前後の兵が篭城できる小さな砦です。
砦正面の堀切
砦背後の腰郭群
御岳山裏参道
本殿山頂部から西に延びる尾根沿いの道は中世の頃に御岳神社の裏参道であり大岳山を越えて檜原街道へ抜ける抜け道でした、当時檜原方面と青梅を結ぶ主要幹線道で戦国期には甲斐武田氏の想定侵攻路であったのです、現状街道筋はハイキングコースと成り澤沿いを進む道の途中では滝や清流の流れを観賞する事ができます、
七代の滝
天狗岩
山頂部より尾根沿いの道を500m程進むと天狗岩に差し掛かります、此処を左に下ると七代の滝へ向かい右へ進むと旧街道筋大岳山へと向かいます。
七代の滝
上から段々に下に落ちる滝です。
街道筋の清流の流れ
綾広の滝
此処から街道筋は大岳峠を越えて檜原街道へと合流します。