深大寺

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 深大寺蕎麦で知られる深大寺ですがその歴史は古く奈良期733年(天平5年)満攻上人によって開基されました、開山当時の武蔵国は開拓最前線地で蝦夷人と倭人との対立が激しく武蔵国の平安を願い深大寺は創建されたのです、その後、鎌倉後期から南北朝の時代にかけての戦火に巻き込まれ消失衰退しますが戦国期に小田原北条氏勢力が南武蔵に及ぶと北条氏の傘下となった吉良氏によって再興され北条氏滅亡後は徳川幕府によって保護をうけます、江戸期にも二度に及ぶ火災にみまわれ伽藍、仏像、本殿、書物など消失してしまいますが後に本殿や所要な建物は修復されました、深大寺は幾多の火災や衰退期を経て現在に至っているのです。

深大寺、井戸と山門

 茅葺の山門は古き武蔵野の面影を留めています。

深大寺門前町

 深大寺と言えばなんと言ってもやはり蕎麦でしょう、深大寺の門前には古風な蕎麦店、団子屋、茶屋などが軒を連ねています、江戸期、深大寺で作られた蕎麦は幕府に献上されたと言われ外食産業が急成長したその時代には深大寺の蕎麦は庶民の楽しみと一つであったのです。

深大寺城址

 深大寺の南側の丘状には深大寺城があります、扇谷上杉朝定が小田原北条氏の武蔵進出に対抗すべく築城したとされ難波田弾正広宗が城主であったと伝えられています、城址には土塁、空堀、構造物の跡などが残っています。

水生植物園

 深大寺城の東側の水堀です、江戸期以前、武蔵国は至る所に湿地帯が在りました、此処も又古き武蔵野の面影を留めています。