永田城の遺構

秩父方面へ
武州の城topへ

 秩父礼所二十二番永福寺が永田城址です、荒川とその支流との合流点を利用して築かれた半島状のこの城の縄張り状況は戦国期以前の築城と考えられます。

空掘に隣接する虎口、櫓台址

空堀址

 永田城正面の守り

 城の東側、西側を荒川とその支流の段丘を守りとして正面南側は空掘と土塁のみを守りとしています、土塁中央には虎口が有り、櫓台が存在し横矢の仕掛けと成っています、秩父郡には永田城と同じ様に荒川と支流の合流点の半島を利用した城で永田城より北へ2km下流の宮崎城と更にそこから3km下流の黒谷に諏訪城が在ります。

黒谷の諏訪城

 永田城より秩父大宮郷を遠望

 永田城からは対岸の大宮郷の町並みと武甲山を遠望できます、養蚕と銅の産出で発展した大宮郷は戦国期に秩父郡の中心で有り、甲州、信州と武蔵を繋ぐ宿場でもありました。