中世の鋳物産業

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溶解された金属

 溶解された金属は「湯」と呼ばれ溶解炉下手から流れ出る構造に成っています、湯は金属製の杓子などに溜められ鋳型に流し込まれます。

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中世の鋳物工場(嵐山町金平遺跡)

 鋳型上部には溶解された金属「湯」を流し込む為の穴が開いていました、湯を鋳型に流し込む際には金属製の樋(トイ)が取り付けられ樋を通じて湯が内部に注入されます。

仕上げ工程

 鋳物が十分に冷却されると型ばらしされ表面仕上げされた後に装飾品などが取り付けられて全ての工程が終了します。

溶解炉内部

 溶解炉の内部は最下部にサオ炭を立ち並べてその上に白炭、地金(金属を貯蔵しやすいように固めた金属塊)を交互に重ねます。

 数段に分割されて造られた「外型」と呼ばれる外周の型に梵鐘内部に空洞部を造る為の「中子」と呼ばれる型が組み込まれ型ズレを起こさないように縄で固定されます。

鋳型の製造

 鋳型は(真土)と呼ばれる良質の粘土と砂を混ぜ合わせて造られていました、梵鐘をなど大型の鋳造品を製造する際には鋳型は分割されて造られます。

 溶解炉は高温により亀裂が入らないように金属製の帯金が巻かれ強度が保たれます。

 溶解炉の背面には大型の踏込み式の鞴(フイゴ)が設置されています、火力を保ち高温を維持する為に大量の空気を昼、夜無く常時2人〜4人がかりで溶解作業が終了するまで溶解炉に送り続けていました。

 溶解炉は主に粘土などで造られます、中世の鋳物の製造現場跡からは粘土採掘場が必ず発見されています、一度溶解に使用された炉は数千度の高温により腐敗しひび割れ、変形してしまうので再利用はされず溶解炉本体は取り壊されていました。

中世の鋳物の製造状況

 中世の時代に梵鐘、湯釜、仏像など大型の鋳造品が如何なる製造工程を経て生産されていたのか梵鐘を例に見てみましょう。

 鋳物は金属を溶かし型に流し込み冷却して固めた金属製品で人類が金属を使用した頃から用いられた技法で溶解に使用された主な金属は金、銀、銅、青銅、鉄などです、国内では奈良期に渡来人によりこの技法が持ち込まれ平安期には河内国丹南郡を本拠地とした高度な技術を持つ河内鋳物師(かわちいもじし)が登場します、彼らは朝廷と結びつき全国を自由に往来できる特権を持っていたので平安期から室町期にかけて全国にその高度な技術を広めたのです、関東では幕府が鎌倉に開かれ寺院の仏像や梵鐘など仏具の鋳造が盛んに行われる様に成ると河内鋳物師が鎌倉に招かれその鋳造技術を伝承し鎌倉大仏の様な大型の鋳造物が造られる様に成ったのです。

溶解作業