川越城の遺構2(城郭東)

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主郭

 主郭は西に三ノ郭、北にニノ郭が在りニノ郭に抜けるニノ口と三ノ郭の脇から南大手方面に抜ける天神口の二ヶ所の虎口が開けられていました、ちなみに天神口は枡形の虎口と成っていましす、主郭内部には天守の代用である富士見櫓と城主の屋敷で総合的政務を行う本丸御殿が置かれていました。

本丸御殿

 現在も在城当時のまま保存され入場可能です。

 (本丸御殿東廊下と大広間)

富士見櫓

 主郭の南端には天守の代用である富士見櫓が置かれていました、現状その台座と成っていた土塁が残っています。

ニノ郭

 ニノ郭は現状川越市立博物館と成っています、ニノ口を抜けて主郭、東の蓮池口を抜けて帯郭へ出られます、江戸期の頃には武器当を管理する武具方役所が存在していました。

天神郭

 本郭の東に川越城の守護神三芳野天神社が独立した郭に存在していました、この三芳野天神社は一説に童謡(とおりゃんせ)の発祥地とされています。

天神櫓土塁

 此処天神郭には郭の東面の土塁と西の天神櫓の土台であった土塁が良好な状態で残っています。

帯郭

 城郭最東端の郭で主郭、天神郭の東からニノ郭の北にかけて長くのびていました、この帯郭の北側には家臣団の屋敷が並び南には馬屋、高松院などが在りました、また宝暦年間(1751年〜)以後の古図面では帯郭を掘で二区画に分けて北側を新郭として画いています。

新河岸川

 帯郭の東には新河岸川が流れ船着場が存在していました。

(帯郭南の馬場)

川越城南東部の大沼

 江戸初期の古図面には川越城の南東部(現在の小仙波町付近)に大沼が画かれています、川越城の水郷の水源であり農業用の溜池であったのでしょう、しかし江戸末期に編集された「新編武蔵風土記稿」の挿絵にはこの大沼は既に無く家臣の屋敷と成っています、大凡川越城下の人口の増加に伴い埋め立てられたと考えられます。