浦山村風土記1

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秩父市浦山地区MAP
浦山村風土記2
中世〜江戸期浦山村の生活
中世山間農村集落

 湖底に水没した寄国土の集落は谷間の比較的低い土地に在り水没以前は8軒程の家屋が存在していたそうです。

湖底に水没した寄国土の集落

 県道73号線をさくら湖沿いに更に南へ進むとさくら湖の南端付近に寄国土の地名があります、寄国土はダム建設の際にさくら湖の湖底に水没した集落で現在その地名のみ残っています。

 大谷の集落から400m南に日向の集落が在ります、日向の集落は現存集落であり古来より浦山村で人口が最も多い集落です、此処から県道を外れ山手に向かう道を進むと現在廃集落と成った、茶平、武士平の旧集落へと向かいます。

日向の集落

浦山ダムの貯水によるダム湖でこの辺りには春にさくらが咲き乱れる事からさくら湖と命名されました。

秩父さくら湖

 秩父市浦山地区は浦山川ならびに県道73号線沿いに点在する集落です、江戸期中頃には17の集落に大凡180軒の家屋が存在してましたが現状浦山ダムの建設と過疎化によりその大半の集落がダム湖に水没または廃集落と成って人口は減少状態にあります。
 「新編風土記稿」によれば秩父浦山村は往古石間の戦に敗れた落武者が亡命して切り開いた土地としていますがその石間とは秩父郡吉田の石間の事かまたは他の土地か定かではありません、ただ平将門が敗れた後にその一族が居住していた伝説または長尾景春の乱において丹党原島氏が景春と行動を共にして戦に敗れ浦山に滞在した後にそこから峰を越えて奥多摩の日原へと落ち延びた仮説もあり秩父浦山には落武者の伝説が根強く残っています。

秩父市浦山地区MAP

 県道73号線をさくら湖沿いに進むと大谷の集落が見えてきます、過疎化が進む浦山地区ですが73号線沿いに点在する集落は比較的秩父市内へ交通の便が良い為に住民が生活をしている集落が幾つか見られます。

大谷の集落

浦山ダムより秩父盆地を遠望

 浦山ダムから秩父盆地を眼下に見る事ができます。

浦山ダム

 1998年に完成した浦山ダムは首都圏の水源と成っています、このダム建設により49戸の民家が湖底に水没し幾つかの集落が消滅しました、ダムには浦山ダム資料館が付属しエレベーターでダム内部を見学する事ができます。

(秩父さくら湖上流の浦山川)

 国道140号線から73号線に入り浦山ダムへ進むと途中秩父28番霊所石龍山橋立堂が在り此処が浦山口から武甲山山頂へ向かうルートの玄関口に成ります、この橋立堂に隣接する橋立鍾乳洞は全体が石灰岩で形成されその3分の2が竪穴の珍しい鍾乳洞で天然記念物に指定されてます、鍾乳洞へ入場できる時期は3月から12月初旬までとなっています。

石龍山橋立堂

不動の名水

 秩父鉄道浦山口駅を下車して国道140号線へ向かって北へ進むと不動名水と呼ばれる湧水が湧き出ています、武甲山の地中の石灰岩の合間流れるこの湧水は日照り続きでも絶える事無く大地震の前にはこの水が白濁したと事から此処に社を建立し不動尊を祭ったと云われています。