旧秩父道(秩父往還道)
(大達原〜贄川)
荒川の渡し舟は三峰に参拝する人、地元民、秩父道を往来する人達に利用されていました、1929年(昭和4年)に白川の吊橋が架かるまで渡し場は存在していました。
これより旧秩父道(秩父往還道)は白久、影森を通り秩父大宮郷へ向かいます。
秩父往還道
(荒川の渡し場跡)
(天神坂)
国道45号線の大達原バス停から山手方向へ登ると旧大達原宿が在り現在高札場が復元されています。
大達原高札場
武蔵北部と甲斐国と結ぶ旧秩父道(秩父往還道)は栃本関所、麻生番所から現秩父二瀬湖の脇をぬけて大輪通り大達原へ向かいます、大達原、強石間には現在も旧街道の遺構が良好な状態で残っています、更に旧街道は現国道45号線と合流し贄川宿を越えて荒川の渡し場へと達していました。
大達原から旧道を進むと明治期の手掘りトンネルが在ります、現在も使用されこのトンネルが掘られる以前はトンネルの上を街道が通っていました。
明治期の手掘りトンネル
切通
大達原、強石間の街道筋
岩盤を削り貫いて街道を通した場所が幾つか見られます、その昔この辺りで馬が落石、転落などで死ぬと地元の人達は死んだ馬の肉を回収しそれを食していたそうです。
強石宿
昭和50年代頃まで奥秩父の集落では共同井戸が残っていました。
共同井戸
最盛期には100近い民家が在り奥秩父の最大の宿場で定期市が開かれ賑わっていました、古来から秩父地方では獣肉を食べる文化があり市にはイノシシ、馬、ウサギなどの肉を切り売りする店が並んでいたそうです、又大正期には強石を起点として現国道45線沿いを工事用のトロッコ馬車鉄道が人を運んでいました、馬車鉄道は二銭で乗れたそうです、そのころ強石の集落では銀行、飲食店、菓子屋、八百屋などが開業して奥秩父の中心的な町であったのです。
贄川の集落は秩父鉄道三峰口から荒川を挟んだ対岸に位置しています、荒川を渡る人達の休息場として栄えた宿場で当時の宿には宿屋、籠屋、酒屋などが並び現在もその面影を残しています、また贄川宿には三峰神社の一ノ鳥居が有ったそうです。
贄川宿
贄川宿の古い町並み
荒川の渡し場
贄川の集落から天神坂を下ると荒川の渡し場跡に出ます。