旧秩父道(秩父往還道)
栃本関所、麻生番所)

関東、歴史旅行情報

こちらもよろしくお願いします、新しいサイトです、武州の城を超える情報が盛り沢山です。
武州の城topへ
大輪宿
秩父方面へ
秩父大宮郷
大達原〜贄川宿
釜伏峠〜折原の渡
秩父往還道
鉢形城下

 江戸期に建て直された関所建造物ですが正面入り口はいかにも関所の雰囲気があります。

関所跡正面入り口

創設時期と関所の目的

 秩父郡大滝村は甲斐武田氏の勢力圏内でした、関所が配置された16世紀中頃は小田原北条氏が秩父方面へと進出し始めた時期で武田信玄は秩父方面の監視と情報収集をを目的として栃本関所を配置しました、旧秩父道甲州路を大宮方面から来る通行人を差し止めてその通行目的と秩父方面での情勢を聞きだし必要な情報を本拠地甲斐へと伝達する役割を持っていたのです、甲斐武田氏は甲斐国を取り囲む山々を最大の国境防衛線とする戦略を取っていました、栃本関所も秩父地方の情報収集面からその防衛戦略の一環として創設されたのです。

(栃本関所)

 埼玉県秩父郡旧大滝村栃本に関所跡が在ります、栃本関所と呼ばれ秩父大宮郷から現在の二瀬ダム、秩父湖の脇を通り雁坂峠を越えて甲州に抜ける一本道旧秩父道の途中、栃本の部落付近に建てられています、創設時期は大凡16世紀中頃とされ甲斐武田氏により配置されました。

麻生番所

 旧秩父道甲州路は奥秩父の渓谷沿いを通っています、栃本関所、麻生番所は渓谷を一望できる山並みの高見に配置されているのです。

秩父渓谷(現、秩父二瀬湖)

 江戸期に入った頃の寛永年間に大滝村に幕府役人が巡視に来た時、栃本関所では不十分と判断して麻生の部落に追加番所を設ける事を命じます、旧秩父道甲州路は高尾から甲斐国へ向かう小仏峠と同様に重要視され新たに栃本関所の追加番所として麻生番所が配置されました、麻生番所の勤務は6組の百姓24人の輪番制として北条氏の旧臣千島氏が番所の長官を勤めました。