旧秩父道(秩父往還道)
大輪宿
甲斐国と三峰山の分岐点、大輪宿
その昔、秩父大宮郷から影森を経て現在の二瀬ダム(秩父湖)の脇を通り栃本を抜けて雁坂峠を越え甲斐の国へと続く秩父、甲州道が在りました、古来より秩父と甲斐を結ぶ主要幹線道で行商人、旅者、軍勢の移動など多くの人々に利用され、北武蔵、甲斐国との重要な動脈であったのです。
旧秩父道
旧秩父道の途中、大輪から三峰神社に向かう参道が引かれ旅者は大輪から甲斐へと向かう人、三峰神社に参拝する人と此処で分かれたのでした、何時の頃か大輪の集落は街道の分岐点、三峰山の門前町、秩父道の宿場として賑わい、宿屋、商店、茶屋が立ち並び、街道を行き来する人々の休息場、交流場所と成ったのです。
大輪宿
山頂の神社と旧表参道の滝
秩父湖からのハイウェイ開通により大輪からの登り道は現在、裏道と成ってしまいましたが大凡4Kmに渡る山道は中世、江戸期の頃の面影を残しハイキング、ウォーキングを楽しむ人達に親しまれています。
ほんの数年前まで土産屋、食堂が店を開き、秩父の蕎麦、団子、山菜と秩父の食文化を此処で楽しむ事ができたのです。
宿場としての使命を果して
大輪宿の最盛期は大正期から昭和初期にかけての時代で大輪から三峰山頂へのロープーウェイ開通により参拝、観光客が増大し、宿場の店一軒あたり一日にして大凡100人を越えるお客が入ったとされ、近年には秩父の宮をはじめ国内外の著名な人達が大輪の宿を訪れたそうです、しかし残念な事に2007年10月のロープーウェイ廃止で大輪宿からの登山客は激減して宿の店は大半、閉店されてしまいました。
中世から数百年に渡り旅人の休息の場であり秩父の歴史と文化を伝え続た大輪宿は宿場としての使命を果してその歴史に幕を閉じたのです。
(現在、ハイキングコースと成った旧参道が当時の面影を今に伝えています、中世、江戸期の旅情文化を楽しむ事ができて三峰下山の際にはおすすめのコースです、1時間程で大輪のバス亭に出られ、ちょとした山歩きには最適です。)
秩父往還道