中山道
(蕨宿)
板橋区浮間から戸田橋を渡りそこから2km程国道17号線を北上すると中山道蕨宿を示す道標が立っています、その道標から右にそれた脇道1km区間が蕨宿です、蕨宿は1457年(長禄元年)に享徳の乱平定の為に関東へ下向した渋川義鏡が蕨城を改築居城しその蕨城の城下町が宿の始まりでした。
蕨宿入り口には宿場の木戸にみたてた柱が2本建っています。
宝樹院
宝樹院には蕨城主渋川氏の墓があり宿入り口から500m程西方向に反れた所に位置しています。
歴史民族資料館分館
宿入り口から中山道を300m程北上すると明治期の織物買継商家を開放した歴史民族資料館分館が見えてきます。
分館から更に300m程北上すると資料館本館と岡田本陣址が在ります。
岡田本陣址と資料館本館
本陣址、資料館本館の次ぎの信号を右折して500m程進むと右側に蕨城址(和楽備神社)が在り現在水掘、土塁が残ってます、蕨城は渋川義鏡が享徳の乱平定の総大将として居城した城でその城下が蕨宿の前進です。
蕨城水郷址
武蔵三学院
中山道に戻り又300m程進むと武蔵三学院の参道とつながります、三学院の開山は不明ですが本尊が平安後期の造りなのでそれ以前です。
1591年(天正19年)に徳川家康より寺領20石を寄進されその朱印状が現在も残っています。
辻の一里塚址
三学院参道から200m先で国道17号線と交差し此処で蕨宿は終わりに成ります、17号線を渡り1、5km程道なりに行くと東京外環道と交差しその手前に辻の一里塚公園(一里塚址)があります。
(江戸期の辻地区は水害が絶えない地域であったと云われています。)
江戸後期の蕨宿は民家、屋敷が430件程で人口は2000人越え中山道随一の宿場でした。
武蔵国内中山道